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環境経済

北海道の歴史1〜開拓


北海道は新しい

明治と共に開拓が始まる

1868年 江戸時代末期に端を発し始まった明治維新の流れの中、明治新政府がスタートしました。

江戸時代まで、北海道(蝦夷)には「松前藩」があり、松前氏が統治していましたが、明治の産声とともに、明治新政府は現在の札幌に開拓使を置き、以後 札幌を中心に北海道の行政が行われ、次々と開拓の鍬が入っていきました。

明治以前の札幌

当時の札幌の風景は、おそらく現在とは想像もできない風景だったのでしょう。

札幌にある地名「二十四軒」や「八軒」はそれぞれ、24軒、8軒の開拓移民の家があったことに由来するといわれ、東京以北最大の歓楽街「すすきの」もススキが茂っていたと言われています。

北海道は開拓者の出身地由来の地名が多く、北広島、新十津川、日高、福井、伊達、伊達、白石などというように、本州同名の地名が多くあり、まさに開拓者精神で新たに切り開かれて行った大地といえるのでしょう。




開  拓

開拓史

北海道開拓の中枢となったのは、開拓使であり、現在観光名所となっている、旧道庁赤レンガが開拓使の庁舎として使用されていました。 開拓使の旗は「赤の星印」であり、開拓使に縁のあるものの多くは、このマークが入っています。 現在 日本を代表する飲料メーカーとなった「サッポロビール」もその一つです。

北海道開拓は 決して楽なことではなかった、というのは周知のところでしょう。原始林を切り開き、寒冷降雪の季候にも苦労しています。闘雪から克雪へ、そして利雪へと先人達の努力は実を結び、友雪、親雪になっていった、という言葉が、北海道の開拓の歴史を的確に表現している一つかもしれません。

都市計画

開拓使で指揮を執った島判官たちは、後世に残る都市計画という面では、京都の桓武天皇、大阪の太閤秀吉とともに数えたいところです。

現在、札幌市中央区の北海道神宮がある高台から、果てしなく広がる未開の大地を見て、当時はいったい何を思われたのでしょうか。札幌市が誇る「大通公園」も「創世川」開拓使の先見が開花した遺産でしょう。




開拓の光と陰

経済発展とその転換期

無からスタートした北海道開拓にも追い風が吹いた時代がありました。

政府の援助が行われ、軍事拠点としての1千万人北海道の構想もあったなど、さまざまな基盤整備が活発に行われていきました。

また「黒いダイヤ」といわれた「石炭の大産地」でもあり、また漁業が活況を呈し、経済的にも大きな発展を遂げていきました。

しかし長くは続きませんでしたした。

エネルギーの主役が 石炭がやがて石油に変わり、漁業の不振も起こり始め、北海道の基幹産業が崩壊していったのです。これにより、多くの市や町が、大きな経済的ダメージを受けてしまったのです。

実は、この頃が、奇しくも、道都 札幌が,北海道経済の牽引役として影響力を強めていった時代の始まりでもありました。



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